君と笑顔でいよう

思うまま、気の向くままに

あの日の出来事を

 

2015年10月25日、一年前の今日(書き始めたのは25日でしたごめんなさい。以下、「今日」=25日)、大阪マラソンが開催されました。濵田くんはそこにいました。(神ちゃんも淳太くんもいます。何なら他のメンバーも。)

その時のわたしはジャニーズWESTのことをほとんど知らず、「ええじゃないか~とか楽しそうに歌ってる関西のジャニーズやろ~?」くらいにしか認識してなくて。もちろん大阪マラソンに出場していたことも、好きになってから知ったことで。大阪マラソンのことは、ジャニーズWESTファンにとっては、つらい、しんどい、苦しい思い出なのかもしれない。だけど、わたしはあの場所にいたかったと、今でも思う。後追いで知ることはできるけど、それでは満足出来ない自分がどこかにいる。

 

 

1年前の今日、わたしは何をしていたのだろうか。そう、引っ越しの真っ最中でした(笑)そりゃあ、ジャニーズWESTのメンバーが大阪マラソンに出てるなんてこと、ファンじゃなければ知らないよなぁ、と改めて。

わたしが荷物運び出したりしてる時に、濵田くんはずーっと痛みに耐えながら走ってたんだなぁ。もし、その時ファンだったら、引っ越しほっぽり出して応援に行ってただろうな。それ程、経験自体はしてないけど、わたしにとってはビッグイベントという認識である。 

 

 

一応、大阪マラソンの回の育ジャニは見た。覚悟して見たつもりだけど、やっぱりしんどかった。何回泣いただろうか。初めて見た時はまだ、好きになって1ヶ月くらいだっただろうか。正直、こんな事までやるんだと思った。つらい思い出だと語る気持もわかった。

 

メンバーの中では一番でゴールした淳太くん。足の裏の皮がズル剥けになりながらも、腰とふくらはぎを負傷しながらも、メンバーの誰よりも早くゴールした。途中、痛みで走れずにいるとき、メンバーを見た瞬間走り出した場面がある。メンバーを見た瞬間、今までずっと険しい表情だったのに、一瞬だけ、フッと表情が緩む。その後、今まで抑えていたものがブワッとこみ上げてきたようにクシャッと顔が歪む。ピーンと張り詰めていたものがプチっと切れたみたいだった。余談だけど、玉森くんが黄金伝説に挑戦して、極限状態の時に発した言葉が「メンバーのところに帰りたい」だった。メンバーって家族とも違う、何にも変え難い存在なんだなぁとその時思った。メンバーの存在って何よりも力になるんだ。ゴール後淳太くんは何度も何度も「情けない」という言葉を繰り返していた。情けなくなんかないのに。多分、いや、きっと、その瞬間、世界一かっこよかったよ。言葉にはできないような、プレッシャーや責任感、プライドとか、たくさんのものを背負って、闘っていたんだろうなぁ。でも、闘う淳太くんは世界一かっこよかったと思う。実際には見てない私が思うんだもん。絶対そう。

 

 

神ちゃんは、本番前から膝に爆弾を抱えてて、ドクターストップがかかって、それでも「出るしかない」「出ないなんてかっこ悪い」って。神ちゃんらしいな。人一倍プライドが高くて、負けず嫌いで、不器用で。きっと挑戦しないなんて、負けたも同然って思ってしまうんだろうな。なんて、本当のところはわたしはわからないけど。

 


濵ちゃんは、ファンの期待も、メンバーの期待も背負っての挑戦だったと思う。あの身体能力だから期待してしまうのもすごくわかる。そんな期待とは裏腹に、開始して序盤で神ちゃんと同じ、腸脛靱帯を負傷して。本当はすごく悔しかったよね、きっと。でも一切言わない。ぶっちゃけ悔しいかって問われるまで言わない。笑顔で手を振りながら、最後まで走りきった。ゴールした後の濵ちゃんは笑ってた。悔しさを押し殺してたのかな。濵ちゃんってポジティブな感情はまっすぐに表現してくれるけど、ネガティブな感情はほとんど表現しようとしないように感じる。つらいときに笑って、うれしいときに泣く。きっといろんなことをたくさん経験してきたことも関係してるのかな。

 

 

実際に見てないわたしが何を言ってるんだ、と。わたしも書きながらそう思う(笑)だから、より一層、「あの場所にいたかった」と強く思う。いろんなことを経験して、大きくなっていく彼らと、「一緒につらいことも共有したかった」と思う。本当のことはわからない。だから、わたしはこれからも「あの日」の彼らに思いを馳せる。

 

まだまだジャニーズWESTは成長途中。これからもっとたくさんの彼らを知っていきたい。一緒に歩いて行けたらな、と思う日々です。